【芸能】楽しく「一発屋」 支えた父の言葉 ダンディ坂野さん

父は大工でした。いつも作業着で、毎朝8時に出て行って、日没に帰ってきました。私より小柄で身長が160センチちょっとでしたが、すごく筋肉質で。厳しいところもあったけど、あれはだめ、これはだめ、ということを一切言わない人でした。

 長期休暇の時、私は木造家屋を建てる現場で資材を運ぶなど、アルバイトをさせてもらっていました。大変で、とにかく早く帰りたかったですね。冬は寒いし夏は暑いし、重いですから。この仕事をずっと続けている父は、本当にすごいなと思いました。

 私は高校卒業後、石川県で会社員をしていたんですが、芸能界への憧れがあって、詳しいことは言わずに26歳の時に上京しました。売れる前は、帰省しても父とは何も話さなかったですね。芽も出ていないのに、今の状況を話すのが怖かったので。親元にいなくて申し訳ないなという思いがあって、実家では居心地もよくなかったです。

 2003年にブレークすると一…

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。
https://www.asahi.com/articles/ASL2D5D4KL2DUTIL00W.html?iref=comtop_photo